陶芸家 松井宏之

作家 松井宏之

日常の情景に、焼き物の息吹
大自然との芸術作品が
その暮らしに馴染んでいく
大切な日々の暮らしに、そっと寄り添う

陶芸家への道

39歳の時に陶芸の道に入りました。遅いスタートです。三つの点をじっくりと考え、この道に進むことを決断しました。


第一この道を突き詰めていくに当たり、
自分が求めるところに到達できる可能性はどのくらいあるのか、勝算はあるのか?

例えば、ピアノの演奏家になりたいと思い40歳近くから始めても、技術面での課題が多すぎて、プロとやっていくことはまず不可能でしょう。深く曲を読み込み、自分が表現したいことを思い描くことが出来て、たくさん練習したとしても、それを弾く技量は習得困難でしょう。

陶芸はどうでしょうか。
陶芸においては、中でも備前焼においては、技巧面よりその人間の歩んできた様々の経験、人間性、思想などが大きな部分を占めていると思っています。過去の名品を見て、その作者の履歴を重ね合わせてみると、それを裏付ける多くの事例に出会えます。演奏家と対比してみると、その違いは明らかでした。
備前の故藤原啓氏(人間国宝)が、40歳近くになって備前焼をはじめ、実家が窯元などの陶芸関係の仕事をしているわけではなく、以前の仕事も陶芸と関係なかったことを知り、私がこの道に進むと決断するうえで、大きな後押しとなりました。勝負してみよう。


第二陶芸を続けるに十分な、土地、設備、資金等が確保できるか?
幸い備前から遠くない相生の実家に土地があり、会社勤めにより資金も蓄えていたので助かりました。この裏付けがなければ、妻や子供を説得して備前焼を始めることはできなかったと思います。


第三これが核心部分ですが、備前焼に何を求め
どのようにしてそれを実現していくか、具体的にビジョンを提示できるか?

幼いころから、備前焼に囲まれて実際にそれを使っていましたし、多くの作品を見る機会もあったので、割と簡単にビジョンを見いだせました。

以前から、室町から安土桃山期の古備前作品に魅了されていたので、このような力強いエネルギーに満ちた美しい作品を作りたいと思っていました。
また、実際に自分の生きている現代において、実用に足るものを作ることをベースに置いています。何のために使うのですかと尋ねられるような抽象的なオブジェではなく、用の美と呼ばれるような、実際の生活の中で使われるものを作っていきたいと思っています。

作家 松井宏之基礎的な技術知識を身につけるため、備前陶芸センターという県立研修所を受験しました。年齢制限が39歳だったので、一回きりのチャンスでしたが、ここにも入れないようならプロの道に進むのは無理と考え受験しました。無事受け入れてもらえました。
研修中に森陶岳師の多くの作品を目にする機会に恵まれ、憧れの古備前作品を彷彿させる作風に魅了され、陶芸センター修了後にその門を敲きました。
古備前にみられる素晴らしい焼けを生み出すためには、大窯による焼成、独自の土づくり、紐作りや叩きによる作陶などが、偶然ではなく必然な工程であることがわかってきました。大変時間と手間のかかる作業ですが、師匠の元でその作業に従事できることは幸せと思っています。
平成27年に火が入る予定の新大窯は、過去に類のないスケールであり、未知なる備前焼の可能性につながると信じ、森一門として作業に従事しています。

作家 松井宏之の経歴

◎陶歴

平成13年 4月 森陶岳に師事 森陶岳一門の新大窯プロジェクトに参加(継続中)
平成18年 4月 独立、相生に直炎式登窯の築窯開始
平成20年 4月 相生にて初窯焼成
平成20年11月 森陶岳一門展(瀬戸内市文化祭特別企画展)に出品
平成21年 5月 古民家の常設ギャラリー開設(相生市)
平成21年11月 アトリエ・ヒロにて個展(大阪市淀屋橋)
平成21年11月 第39回全陶展入選
平成22年 2月 第4回現代茶陶展入選(織部の日記念事業)
平成22年 8月 山陽百貨店にて個展(姫路市)
平成23年10月 第26回国民文化祭(京都)陶芸部門入選
平成23年11月 20メートル直炎式登窯焼成
平成23年12月 東京銀座OS画廊にて個展
平成24年 1月 大阪アトリエ・ヒロにて個展
平成24年 4月 東京赤坂ぎゃらりー小川にて個展
平成24年 9月 東京渋谷ぎゃらりーおくむらにて個展
平成24年10月 第27回国民文化祭(徳島)陶芸部門入選
平成25年 2月 第6回現代茶陶展入選
平成25年 4月 東京神楽坂アートガレーにて個展
平成25年 7月 天満屋岡山本店にて個展
平成25年10月 ギャラリー八重洲・東京にて個展
平成27年 2月 日本陶芸展 初出品で賞候補入選

◎略歴

昭和35年 6月 兵庫県相生市に生まれる
昭和54年 3月 淳心学院高校(姫路市)卒業
昭和59年 3月 上智大学 外国語学部英語学科卒業
昭和62年 3月 同大学院 国際関係論専攻修了
昭和62年 4月 野村證券入社、国際金融部配属
平成 4年 3月 外務省アジア局へ出向、APEC担当(2年間)
平成12年 3月 野村證券退社