備前焼について

備前焼の歴史

備前焼の歴史備前焼は、千年近い歴史を有し、その歴史を説明した書籍は多数あります。 ホームページで、備前焼陶芸家が、改めてその歴史を説明することは不要と考えます。
むしろ、自分が引き込まれた備前焼の魅力はどのようにして生み出されたのか。なぜ、千年近くの長きにわたり廃れることなく引き継がれ、時には発展していったのかという歴史的背景について、陶芸家としての個人的見解を述べたいと思います。

鎌倉、室町期において、本来焼成には向かない備前土のため、焼物作りは大きな制約を受けていたと思われます。それを逆手にとって乗り越えることで、備前焼は千年続く魅力を確立したと考えます。

第一の制約は、備前土は釉薬が乗りにくい性質だったことです。
他の焼き物産地と異なり、無釉薬の焼き締め陶として世に出ていくしかなかったと考えられます。 釉薬を用いない、生活雑器としての焼き締め技術を高めたことが、後の大窯焼成につながったと思います。

第二の制約は、備前土が焼成に向かず、急速に温度を上げると割れてしまうので、長い時間をかけて徐々に焼成せざるを得なかった点です。

例えば、信楽の土は短時間で急速に温度を上げることが可能なので、短時間で効率的に焼成できます。 私の窯では、二週間近くかけて焼成しますが、どんなに効率化しても、二日ほどの短時間で焼き上げることは困難と思われます。 特に大きな作品の場合は、不可能と思われます。

長時間にわたる薪窯焼成で、木灰が堆積し、自然釉となって垂れることで、魅力ある景色を生み出しました。最初から木灰釉を施した場合とは、明らかに異なる景色を生み出したことが、備前焼の魅力を高めたと思っています。

時間をかけての焼締めは、性能面でもプラスをもたらします。 『備前の擂鉢は投げても割れぬ』といわれるような粘りのある頑丈な焼物となり、当時の国内市場で大きなシェアを占めます。 備前は一大焼物産業集積地となり、安土・桃山期を迎えます。
この時期は、現在の備前焼を語る上でも、もっとも重要な転換期と考えます。

焼物産業が確立したことで、また、豊臣秀吉などの有力者の庇護を受けたことで、規模の拡大が可能となり、大窯の出現を見ることとなります。
大窯のもたらした第一の利点は、大きな作品を大量に焼けることにあったと思います。
広範囲に販売シェアを拡大する過程で、もともと大物作成には向かない備前土で、巨大な焼物を作成する技術を確立したと思います。 備前の水甕の水は腐りにくいとよく言われますが、油、水、穀物等の保存容器としての地位を確立したのがこの時期と考えます。
大窯による大量生産は、素晴らしい副産物をもたらします。 大甕の内部に、花入れなどの茶陶を組み込んで一緒に焼成します。多分、大きな作品の内側を空のまま焼くのはもったいないという考えから、始めたものと想像できますが、結果として今までにない素晴らしい胡麻、緋襷などの景色を生み出すこととなりました。

多くの茶陶の名品がこの時期に生み出されていますが、私もこの時期の素晴らしい古備前の作品に魅了されたことが、陶芸の道に入るきっかけとなりました。

江戸時代以降は、備前焼は縮小均衡の道を進みます。
江戸前期は、より精密な洗練された作品となります。細工物などに多くの名品が生まれますが、かつてのようなダイナミックな大物は姿を消していきます。 無釉薬では抗しきれなくなり、彩色備前なども生み出されますが、その世界では九谷、有田、伊万里などの製品に伍することはできず、全国的に広まらなかったと考えています。
江戸後期は、経済的逼迫もあり、焼成をより効率化コストカットする方向に進み、倒炎式登り窯の採用により、穴窯形式の直苑式登り窯とはずいぶん違ったやけとなります。技術革新に伴いよりレベルの高いものを低コストで生産するというのではなく、縮小再生産の方向に行かざるを得なくなり、備前焼にとっては辛い時代だったと考えます。

明治以降は、より規模が縮小し、個人窯が主流となります。一時期、個人窯の数も大変少なくなりますが、第二次世界大戦後は伝統工芸ブームなどもあり、個人窯は増加の道をたどります。
個人の自由な創作活動と書くと、芸術的活動においては素晴らしい環境であるように思われますが、かつてのような大窯による共同作業がほとんど行われていないことは残念です。
自由とは自己満足、妥協を呼びやすい反面があり、現在の備前焼がかつての大窯時代の古備前程に評価されていないことは事実です。
そのような折、私は師匠である森陶岳の作品に魅了され、古備前の名品に通じるオーラのようなものを感じました。それが、50メートル近い大窯で焼成されたことを知りました。

私は、過去の名品を見るにつけ、窯の大きさが焼きあがりに極めて大きな影響を与えると考えています。
私が魅了されたような焼けを生み出すには、ある一定以上の内容積の窯が不可欠であると確信しています。素晴らしい技能を持ったドライバーであっても、軽自動車でレースに臨んだのでは、他のF1カーに勝てないようなもので、窯の大きさは作品の出来を確定付ける大要因と考えています。